「鯛焼きひとつ、鯛抜きで」

クリープハイプとPublic Relationsが好きな、webライターの雑記

Persistently Run

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自分がしたいこと

第二新卒としてのキャリアチェンジを視野に、情報収集を始めている。就業前なのに。明々後日には企業訪問だ。

思うに、自分はバカなのだろう。

大学4年の2月末だというのに何をやっているんだか。1歳年下の幼馴染は外資系コンサル会社の内定をとった。オイオイオイ。勘弁してちょーだい(語尾はタケモトピアノをイメージして欲しい)。

知り合いには「ずっと2社だけ受け続けてるwww」と冗談めかして言うが、冗談でもなんでもなく2社受け続けている(というより、話を聞いて回っている)からしょうがない。 むしろ冗談であってほしい。ただ、夢のためなら致し方なし。

 

自分が何をしたいのかは非常に明確で、全ての人間が生きやすい社会を実現したい。綺麗事言ってんじゃねえ、と思われるかもしれないが、言うだけならタダだ。

そう、言うだけなら。

今の自分には、「言うだけ」の事しかできない。自分に出来ることなどたかが知れているし、やってきたことだって大したことはない。そんな青二才が綺麗事を語ったところで、響くわけはない。長期的なスパンで考えた場合、企業にとって採用は2〜3億円の投資になるわけだ。こんな胡散臭い自分に2〜3億円の価値があるかと問われれば、眉をひそめてしまう。

 

もちろん、「自分らしく生きること」への貢献は、様々な形で出来るだろう。例えばメーカーであれば、製品が人々の選択肢を増やし、自己決定の幅を広げる。メディアであれば、情報を届けることで自己決定の基準を提供できる。掲げている世界へのアプローチは無限大だ。

現に今内定をいただいている企業は、ダイバーシティインクルージョンを掲げ、「誰も取り残さない」をモットーにしている。トランスジェンダーの方のために、19cm〜27.5cmの革靴・パンプスを取り揃えているし、金融リテラシーのない若者が資産を積み立てできるよう、投資をパック形式で販売している。社員全員を対象としたダイバーシティ研修も行なっており、こうした言行一致っぷりが気に入って、内定を承諾した。上場企業で安定しているし、半年ごとに12連休を取れる。月の平均残業時間は3時間だし、アタックNeoも驚くホワイトさにクリビツテンギョー。ここで満足しても良いだろう。

 

だが、私はPRがやりたい。だから、いずれここを辞めることを覚悟している。

転職せずとも、就職先で努力すればよい、とも言われるが、自分はもし転職を視野に入れなければ現状に満足して終わる。そういう人間なのだ。だから就職先では広報として経験を積み、ビジネススクールに通って社会人としての土台を固める。ロクでもない将来設計を白状したが、薄情者がバレただけだ。

 

では、どうして私はPRにここまで固執するのだろうか。 それは、PRのプロフェッショナルになることが、目指す世界を実現する近道だからだ。

 

 

どうしてPRなのか

PRとはPublic Relationsの略であり、倫理観に支えられた双方向性コミュニケーションと自己修正をベースとしたリレーションズ活動だと日本のPRを切り拓いてきた井之上喬は述べる。私は、この定義がとても好きだ。初めて出会った時、「これだ」と運命を感じたことは記憶に新しい。

www.inoue-pr.com

世の中の生きづらさには、一方通行の情報が広まった結果生じるものが多い。

例えば自分であれば、「親がシングルマザーだから愛を十分に注がれてこなかった」と言われたことがあるが、これなどまさに母子家庭のステレオタイプが招いた誤解だ。ドラマや漫画で描かれる母子家庭像が、現実を規定する。

また、セクシュアルマイノリティに関する勉強をしていると、「あたりまえ」の暴力性には否が応でも気づかされる。トランスジェンダー然り、ゲイ然り、そのほか然り……

 

jobrainbow.jp

 

単一方向性コミュニケーションに基づいた既存の概念は、常に誰かの生きづらさを招いてきた。だからこそ双方向のコミュニケーションを通じてイメージをすり合わせていくことが求められるし、必要に応じて自分の考えをアップデート(自己修正)する必要がある。

このコミュニケーション形態は、誰かの生きづらさを解決するための武器になる。

先ほど述べたように、全ての人が生きやすい社会へのアプローチは無限にある。なんなら全ての職業、誰かの生きやすさにつながる。しかしそれは、特定の領域のみでの話になってくる。メーカーであれば特定の製品のみ、メディアであれば特定の媒体のみ。

これは思うに、局所的な生きづらさに対応しづらい。

 

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物が売れずに悩む人がいる。国籍による差別に苦しむ人がいる。タトゥーのせいで温泉に入れない人がいる。過去の行いでネットリンチに遭う人がいる……苦しんでいる人を挙げればキリがない。だからこそ、ひっくるめて救える力が欲しい。どんな場面にも応用できる基礎力が。

 

そこで私が想定した力こそ、あらゆるコミュニケーション方法で人々の中にある既存の考えを変える力であり、これを身につけられる世界がPR業界だ。

広告の世界でもようやく双方向性コミュニケーションが注目され始めたが、日本のPRが広告会社のPR部門を中心に展開されるなかでPRの本質を見失った(物が売れずに悩む企業にフォーカスした、定量的に測定可能なパブリシティとプロモーション偏重となった)ことは井之上によって指摘されている。

だから自分は、広告業界ではなく、PRの発想を温め続けてきた、かつノウハウ・データが蓄積されているPRの老舗に身を置きたい。伝えるプロになって、苦しむ人が現れたらすぐに手を差し伸べられる、そんな人になりたいから。 

 

しかし、「寄り添う」にフォーカスしすぎてその場しのぎの対処しか出来ない人間にはなってはいけない。私が大学生活で犯した罪を、繰り返してはいけない。学習しなくては。自戒の念を込めて、引用。

 

我が国民はどうも論理性に乏しいだの、妥協的だの、低俗プラグマチックだの、近頃ではまた、「低い意味のリアリスト」だのとも云はれてゐるが、民族に於ける論理性は、蓋し個性を尊長するところから発展するのであり、話の内容如何に関らず、その話しつぷりが温しくさへあればいい心理派こそ、論理性に対する、柔和にして蔓り易い敵なのである。

「議論するなら勝手にしやれ、あとでゲンコの雨が飛ぶ」──茲に、低俗プラグマチックの、象徴がありはしないか。議論の内容如何に拘わず、議論することそのことが癪だといふ、女ならでは夜の明けぬ、悲しむべきことではあるまいか。

心理派たる勿れ。問題を持たずしての心理的慧眼とは、文章なくての修辞の如きに過ぎまいではないか。『心理的と個性的』中原中也

 

はぁ。諸々、もっと早く気づいていれば、新卒としての就職活動も少しは違ったのかな、と思う。10月に気づいたのは、少し遅すぎた。だから、もう後悔したくなくて、動き始めた次第なんですけどね。

 

戯言でした。おつかれさまです。僕は地道に夢を追っていきますので、皆さんは親を大事にしてください(feat.令和ロマン)。