花粉症

親愛なる、可哀想なあなたへ。
桜が散って、せいせいする季節になりましたね。
窓を開けると、爽やかな夜風が花粉を運び、目と鼻がむずむずしてしようがありません。
そういえば、あなたは花粉症持ちなのに、頑なにティッシュを持ち運ぼうとはしませんでしたね。
「花粉症を認めたら、花粉症になっちゃうから」
あなたと同じことを言う人に、人生で二度ほど出会いました。
あぁ、くしゃみが非常に「景気の良い」類であったことも、覚えています。
私はあの頃から変わらず、ボックスティッシュを持ち運んでいます。
鼻の下に、ワセリンを塗っています。
マスクはつけません。
花粉症じゃありませんから。
花粉症と認めたら、花粉症になっちゃいますからね。
東京から神楽坂を経由して、落合南長崎へ向かう26時34分

「次の交差点、そう、セブンのとこ。そこを右に曲がってもらってもいいですか?」
先輩が道を伝える。運転手は、返事の代わりにウインカーを出した。BGMのないタクシー。車輪がアスファルトの上を軽快に滑る音と、リズミカルなクリック音。僕と先輩の間に、沈黙が流れた。
「次の部署、希望なの?」
希望じゃないでしょ、辞めないの? と言いたげな先輩の語尾。多分僕の、考えすぎ。
「お察しの通り、希望じゃないっすよ。この仕事、続けたいんで。でも、行くからには頑張りますよ。ここで辞めるのが、一番ダサいですもん」
メーターが上がった。4400円。
「正直、描いてたキャリアとは全然違いますけど。まあ、それもいいかなって切り替えました。切り替えなきゃやってらんないですよね」
メーターは上がらない。4400円。
「いつか、今の仕事に戻りたい。その思いには嘘をつかずに、僕は僕なりにやれることをやってみようと思います、新天地で」
メーターが上がった。4500円。
先輩は、僕と目を合わせない。かける言葉が浮かばないのか、言葉をかけるべきか悩んでいるのか、タクシーの行く先を気にかけているのか。
「まぁ、お前はさ。今の組織よりも輝ける場所があると思うよ。それは、お前のパフォーマンスがどうこうって話じゃなく、この組織が沈みつつある船だから、っていう意味ね」
メーターが上がった。4600円。僕はメーターから目を逸らし、窓の外を見る。ああ、先輩が僕と目を合わせないんじゃない。僕が、先輩と目を合わせられないんだ。
先月末、先輩に子どもが生まれた。終電がなくなるまで銀座のスナックに僕を連れ出し、タクシーで一緒に帰ってくれる先輩。"パパ"というにはあまりにも奔放な彼は、出会った時「この会社に自分はいつまでいるか分からないけど、どうせならワクワクする選択をしたい」と語っていた。彼も人事異動で他部署に行く。先輩は、どこまでも大人だった。
「まあ、会社員だし、色々あるわな。あ、運転手さん、ここで。このままこいつの家まで送ってください」
タクシーがゆるやかに停まる。毒にも薬にもならない〆の言葉と共に、僕の右手に1万円を握らせて。先輩は、僕の両膝を跨いでタクシーから転がり出た。
「お釣りが出たら、"次"会うときに返してよ」
ドアが閉まる。先輩はフラフラと住宅街に消えていった。
背中が完全に見えなくなったのを確認して、僕は運転手に伝える。
「運転手さん、この通りをまっすぐ行ってください。細かい道順は、一旦出てからお伝えする、でもいいですか?」
先輩がくれたような気がする"次"を、ちょっとだけ信じてみようと思う。
タクシーが、進む。メーターが、上がる。4800円。4900円――。
2年越しに、死と向き合う
壮大なタイトルをつけてしまったが、曽祖母の三回忌に参列しただけである。

曽祖母との思い出は、特にない。断言するとドライだが、ない思い出を語る方が「死を美談コンテンツとして消費する」感が強くて、不誠実に思える。
しかし僕は根っから不誠実なのだろう、法事では号泣した。思い出もないくせに。
なぜ泣いたのか。今でも不思議に思う。記憶を辿ると、泣いた時に心の大半を占めていたのは「申し訳ない」という感情だった。気がする。
認知症を患っていた曽祖母。彼女が入居していた介護施設に僕が訪れたのは、年に一度あるかないか。親不孝ならぬ曽祖母不孝である。
彼女は、僕のことを覚えていなかった。会った時に毎度、祖父が僕を「貴女のひ孫、○○(僕の本名)だよ」紹介してくれた。毎回初見の如く「あらぁ、そう。可愛い子ねぇ」と品よく挨拶してくれる曽祖母に対して、僕は「へへへ…」と愛想笑いをすることしかできなかった。
別に悲しくはなかった。自分が認知症になったとしたら、記憶が三親等に掠るはずもないから。でも、気まずさはあった。八十年自分より長く生き、原爆を切り抜けた(残留被曝、一応僕は被曝四世らしい)実質初対面の女性。彼女に対して何を思えばいいのか。よくわからなかった。
亡くなった時に「申し訳ない」と思ったのは、上記の感情に由来する。気まずさを嫌い、距離をおいていたので。何かをできたとは思わないが、もう少し頻度高く施設へと足を運ぶくらいはできた。きっと。
正月だけ顔を出す僕を、祖父はどう思っていたのだろう。祖父にとっては、母親なわけで。「母を避ける孫」に映っていたのだろうか。だとしたら、複雑だったろうな。見舞いを無理強いしないあたり、人格者だ。
祖父は、強かった。葬式で泣いたのは献杯の時だけ。「覚悟していた」から、かもしれないが、尋ねるのは気が引けるためそっとしておく。僕よりも酒を飲む祖父。いつまでも、盃に酒を注がせてほしい。罪滅ぼし1%。←丸が並ぶとキモいね
そうこうしているうちに、電車が来た。地元である新浦安から、棲家へと帰る時間だ。
新浦安。温もりがない町。チェーン店でガチガチに固められた町。生活に最適化され、地元と言わねばならないことが、ちょっと嫌な町。たまに来るぶんには、悪い気がしない町。
次に曽祖母の死と向き合うのは、七回忌になるだろう。その時はきっと、今よりも記憶が薄れるだろうから、今日書き残した。
誰かが死ぬ時に、誰かが産声をあげているんだよなー、なんてことも思いながら。みんな、長生きしろよ。

