「鯛焼きひとつ、鯛抜きで」

クリープハイプとPublic Relationsが好きな、webライターの雑記

今から少しコンプレックスの話をしよう

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はじめに

コンプレックスについて話そう。

誰しもがコンプレックスを抱えているのは承知の上で、今回とりあげるのは私のコンプレックスだ。

しかし、これを書くにあたって断っておきたいことが2つほどある。

まず、「こういうコンプレックスがあるんだ!かわいそうでしょ、僕!」と同情してほしいわけではない。次に、「あー、わかるわかる!そうだよね」と共感してほしいわけでもない。

むろん、結果的に上記の感情を抱かれる分には構わない(し、自己正当化と言われてもしょうがない内容になるだろう)が、私はここ何日かでようやく言語化できるようになった自身のコンプレックスを、人目のつく場所に晒したいと考えしたためるだけだ。電柱の影から飛び出す露出狂的嗜好のもと、電柱にスプレーで落書きするようにべたべたと、考えを形にしていく。バンクシーになれない私の、なんの金銭にもならない愚筆で、誰かの琴線に触れたら儲けもんだ。

誰かが、偶然、ちょっと、安心することを期待して。それでは、私のターヘル・アナトミアを開いていこう。

※なお、「コンプレックス」はユングなどの説く心理学における心的複合体のニュアンスでは用いていない。あくまで、世間で用いられる「劣等コンプレックス」の類を意味している。

 

生き様コンプレックス

コンプレックスの代表例といえば、「学歴コンプレックス」だ。断定である。インターネットに入り浸っていると、これを抱えて他者をくさす腐りかけのアカウントを腐るほど目にする。草も生えない。5ちゃんねるやまとめサイト上ではいつも大学のネームバリューで人間に優劣をつける争いが繰り広げられているし、私はむしろ「こうやって人を学歴で測る人間にはならないよう気をつけよう」と彼らを反面教師にすることができた。

で、ありがたいことに、学歴コンプレックスは抱えていない。それなりの進学校を出て、それなりの大学に進んで。コンプレックスに思ったら失礼な学歴だ、くらいの自負はある。

 

むしろ、苛まれるのは学歴に釣り合っていない自分の「生き様」だ。

 

中高時代、私の周りはバケモノばかりだった。学歴の話をしていたからまずその観点から意見を言うと、同期が60人前後東大に行っている時点で敵わんなあとなるし、当時付き合っていた恋人もその1人だったし、推薦で東大に行った人もいた。医学部も大量だ。とまあ学歴の観点から言えば周りは凄まじかったし、もちろんそれだけではない。起業してアプリを開発している人間もいれば、MENSA会員、ポケモンカードの世界チャンピオン、UCLAに行った人間もいた。模擬国連で優勝した人もいた。

 

彼らは大学に進んだ後も、一流企業に就職したり、大学院で自分の興味ある分野を究めようとしている。かと思ったら、有名Vtuberになったり、劇団の座長になったり、学生団体の代表としてビジネスコンテストで優勝したり、日本なのに大学で飛び級したり、Webメディアを運営したり、本を出版したり、大学お笑いコンテストで前人未到の成績を出したり……活躍の形は様々だ。そんな、活躍している同期を見ると。

 

努力していないくせにいっちょまえに嫉妬している自分に、笑ってしまうのだ。

 

友の活躍、当然喜ばしいことのはずだ。

しかし、真っ先に出てしまうのは、「こいつはすごい、その点俺は……」。

醜い自分を、引きちぎりたくなってしまう。

切ってもすぐに伸びてくるこの気持ちは、嫌になるくらい曲がっているのだ。

 

はみ出していた理由ばっか

考えても仕方ないし

「今更」そう言って

笑った君は 大人になった

曇りきった感情は

いつか宙を舞って

虹が出るんだ

あの日夢みてた

僕らの明日ですら

昨日になってた

(虹の形/ユアネス)

 

平凡

「あんたは本当に、おちこぼれだよね。でも、ろくに夢を叶えてこなかったのに、よくグレないでいてくれたね」

大学2年の頃、母に言われたことを思い出す。ちなみに母は褒めたつもりらしいが、私としてはボディブローをもらった気分だった。あれほどまでに母親が具志堅用高に見えたことはない。

 


ボクシング 具志堅用高×ファン・ホセ・グスマン 1976年10月

 

わかっている。そんなこと、自分が一番。落ち溢れた私は当然、盆に返らなかった。

夢を叶えたことなんてなかった。第1志望の中学も、第1志望の大学も、第1志望の企業も、全部落ちた。社会的に評価されるかどうかは関係ない。

私は過去一度たりとも夢を叶えたことがない。

 

高校時代の成績はど真ん中だった。文系130人中65位。それなりに受験勉強をして、それなりの点数が取れた凡人だった。いわば「どっちにも転べる位置」。鬼才・天才たちに囲まれながら、何かに秀でているわけでもなく、かといって突出した才能があるわけでもない私。

当時はありがたかった。受験勉強さえしておけば、悪目立ちはしなかったから。

部活もそれなりの結果を残せた。ディベート甲子園では全国5位になれたし、即興の部では関東2位になれた。だが、どうにも性に合わなくて、大学では続けなかった。

熱を注げる対象が(わから)ない凡人は、大学に進学して、堕ちた。ただただ、堕ちた。周りの人間が、過去には曲がりなりにも肩を並べていた彼らが、次々と己の道を切り拓いていく中、私は肩書きに似合わない無様な生き様を晒している。晒し続けている。

得たものはたくさんある。ジェンダー論、セクシュアリティに関する勉強はそれなりにやったし、サークルを通じて増えた知り合いは(渉外活動をしていたこともあって)400人近くいるだろう。 

でも、進めていない。

大学院に進みたいと思えるほど、学問に情熱を傾けられなかった。覚悟もなかった。

一流企業に就職できるほど、自分は努力できなかった。キャパシティもなかった。

起業するほど、やりたい事業はなかった。アイデアもなかった。勇気もなかった。

社会に名を残せるほど、自分に強みはなかった。「伸ばせば誰にも負けない」と確信が持てる領域も見つけられなかった。

 

さて、解体新書はいかがだっただろうか。

かつては世間から見たら大間のクロマグロだったはずが、解体してみると赤身しかないどころか、食べてみれば「可もなく不可もない味」。いや、むしろ生臭い。泳ぎ続けていなかったから、死んで、腐った。

凡人が主役になれるのは、少年漫画だけだ。日記に突然未来の予定が書かれることもなければ、席の近い女子が宇宙人やら未来人やら超能力者やらを集めることもない。

人よりちょっと煙草を喫い、人よりちょっと多くラジオを聴く。アウトローからは程遠く、読書家と名乗れはしない程度に本を読み、文化人からは程遠いペースで観劇やライブといったカルチャーに触れる。スポーツには興味がないし、そもそも苦手。グルメというほど舌は肥えていない。プライベートでは、幸せにした人より不幸にした人の数が多い。

 

誰にでもできることを、やったりやらなかったりしてきた。それだけだ。

 

努力不足を嘆くことで赦してもらいたいわけではない。こんなことを考えて日々を生きている、と急所をむき出しにしながら、私は今日も生きる。

 成程人の一生は夢で、而も夢中に夢とは思わない、覚めて後其と気が附く。気が附いた時には、夢はもう我を去って、千里万里を相隔てている。

 もう如何する事も出来ぬ。もう十年早く気が附いたらとは誰しも思う所だろうが、皆判で捺したように、十年後れて気が附く。人生は斯うしたものだから、今私共を嗤う青年達も、軈ては矢張り同じ様に、後の青年達に嗤われて、残念がって穴に入る事もだろうと思うと、私は何となく人間というものが、果敢ないような、味気ないような、泣きたくなる……(『平凡』二葉亭四迷