滾るパトス
昔は、「オタク」の呼称はマイナスの意味を込めて用いられることが多かった。しかし今となってはそんなニュアンスも薄れ、「○○に熱中する人」を意味するニュートラルな表現になりつつある。
もちろん今なおステレオタイプに縛られ「古のオタク」イジりをするコンテンツ・メディアも存在するし、やれゲーム障害だの、やれ容疑者の家にはゲーム機が云々など、残存するイメージを恣意的に利用している場面は散見される(ゲーム障害に関しては、それを障害として認めない、と主張したいわけではない。ただ、ゲーム以外でも同様の症状は起こる気がするのだが、なぜゲームばかり糾弾されるのかが少し疑問だっただけだ。きっと依存度などゲーム特有の要因があるのだろうが)。
だが私は、「オタクとかイタいわwww」の背景には、「憧れ」があるように感じてならない。
何かに熱中して目を輝かせる人間に対するルサンチマン。「何かに熱中する=他のものが見えない=他人に迷惑をかける」という構図を作り出すことで、夢中になれるものがない自分の方が善であると思い込みたい人間の心理……ではないか。
というか、私がそうだ。私は何にもハマれない。好きなものはある。クリープハイプが好きだ。バナナマンが好きだ。ラジオが好きだ。そこは断言できる。……しかし、オタクと名乗れるレベルからは程遠い。知識も、割いたリソースも、大したことない。
しかも、彼らの何が羨ましいって、「魅力に呑まれている」ところだ。能動的に何かを好きになろうとして好きになっている人間は全然羨ましくない。気がつけば魅力の奔流に呑まれ、自覚しつつも積極的に川を流れるカッパが羨ましい。自分はしてこなかったから。「あ〜流れきた!」と思いつつ、水流を全力で受け止め、終了。深みにはまることなく、その場限りの享受に止まる。だから知識が深まらない。
モノが悪いと言いたいわけではない。現に、何かの虜になっている人間はごまんといる。かといって、努力してオタクになった人は何一つ羨ましくないわけで、結局才能のせいにしているのか……?責任転嫁したい、のかなぁ。
今さらさらさら素肌
さらざんまい。
汗でベタつく。だから夏服を買う。買った。青い薔薇があしらわれた、にょろんとしたシャツです。かわゆい。黒いオーバーサイズのシャツも買いました。かわゆい。
選択を他者に妨害されるのが嫌いだ。だから私はZOZOTOWNでしか基本服を買わない。とか言いながら、店員と喋るのなんか嫌なだけ。ただのコミュ障出不精デブ。きっつ。服はキツくないけど。
でも古着は思い立ったら買いに行く。なんでだろう、得だからかな。プライドと経済がバトったら経済が勝ちましたね。経世済民。
7月の目標は「生き抜く」。対戦よろしくお願いします。