浦安サディスティック
鋭い彼の眼には、人間の足はその顔と同じように複雑な表情を持って映った。その女の足は、彼に取っては貴き肉の宝玉であった。拇指から起って小指に終る繊細な五本の指の整い方、絵の島の海辺で獲れるうすべに色の貝にも劣らぬ爪の色合い、珠のような踵のまる味、清冽な岩間の水が絶えず足下を洗うかと疑われる皮膚の潤沢。この足こそは、やがて男の生血に肥え太り、男のむくろを蹈みつける足であった。(『刺青』谷崎潤一郎)
なんでこうも、官能的になるのだろう。
永井荷風が谷崎潤一郎の「肉体的恐怖から生ずる神秘的幽玄」に関する表現を賞賛したわけだが、まずここまで妖しさと美しさを強調された彼女が痛めつけられていくさまをみると、読者には「嗜虐的な」興奮が湧き起こる。その心境のまま、被虐者が尊厳を踏みにじられていくさまを見ていくと、被虐者が肉体的恐怖を通じて快感に誘われていく姿に、またしても興奮する。
ここにも妙がある。文章としてたしかに被虐者の恍惚は描かれているが、いつのまにか読者は嗜虐的な登場人物を自分にインストールし、ここに違和感を覚えなくなっている。肉体的恐怖と快感の結びつきに妥当性を見出しているのだ。
ひゃーきもい。普段こんな心情にはならないのに、文字の羅列を目で追っただけで、私たちは簡単に思想が変わる。恐ろしすぎる。プロパガンダとはどんな時代にも通用するものだなぁとつくづく思う。ラジオによるプロパガンダが要因となったルワンダ内戦も最近のことだったよなぁ、と思ったらあれは25年前の話だった。失敬。
部屋にはまだ読んでない本がたくさん積んであるなぁと思い、試しに転がっていた短編(掌編?)を読んでみたところから今回の備忘録はスタートしたのだが、基本的に飽き性なので長編小説など読みきれる自信は皆無だ。これくらいの短さがちょうどいい。 20ページくらいしかなかったもんこれ。
もしかしたら、先述のプロパガンダ云々も、私の気が変わりやすいだけなのかもしれない。
黙々
思えば、煙草もコロコロ変える。今はアメスピのゴールドだし、前はピースのアロマロイヤル、その前はウィンストンのキャスター、その前はショートホープ。同じものを連続で買わないよう心がけているのだが、なんで心がけているのかわからない。確実に、その心がけに意味はない。
右手に持つ煙草がくゆっている。
「くゆる」って好き。「くゆってる」感じがするので。同じ「燻る」でも「くすぶる」より優雅な感じがする。
道玄坂のフレッシュネスバーガーの横にある喫煙所はハエが多い。でもなぜか喫っている間はそんなに気にならないんだよな。灰皿に煙草を押しつけると、もくもく、ぷす、と煙が出て、煙草は静かに息絶えた。今日も煙草を殺してしまった。
最近、「煙草とコーヒー、摂取すると落ち着くわけではなく、テンションが下がっているだけ」説を提唱している。ダウナーな感じになるのを「落ち着く」と錯覚しているのではないか?医学的な知識が全くないので、純度100%の仮説でしかないのだが。
めちゃめちゃ冷静かつ味覚に正直になったら、ブラックコーヒーって全く美味しくないのでは??と思ってから6時間が経つ。今までコーヒー好きだったのに、突然味覚に全幅の信頼を置いてしまった。まーた気分変わったのかお前。
右手に持っているセブンイレブンで買ったアイスコーヒーは、氷がとっくに溶けきっている。私は黙々と、ちびちびと、コーヒーを啜る。6時間の業務に付き合ってくれたことに感謝。