言語センスに脱帽
帽子被ってないけど。
「痛感」って言葉を考えた人間にノーベルRickey賞をあげたい。
だって天才だろ。「自分の実力不足を痛感する」……まさにこれって感じ。何かで心が折れた時真っ先にくる悔しさや悲しみは、頭の芯にギュッと刺さりこむ。感情が身体に落とし込まれ、目頭が熱くなったり、拳を必要以上に強く握ったり、頬の内側をがぶりと噛み締めたり。痛みとともに、現実を刻み込む。
精神に起こる現象を身体の次元に落とし込むこの表現、本当に美しい。だからノーベルりっきー賞。
ecosystemの『ジレンマ』は、この営みがうまい。メロディーが浮かばない時にも歌詞だけが浮かぶことがある、稀有な楽曲。
目眩がする程、眩しいあの世界
鋭く胸に突き刺さるよ
目眩がする程、眩しいあの世界
必ず、掴む為ここに立ってるよ
銀魂のOP曲としても話題になったこの曲。本当に天才だと思う。
「この世界」じゃなくて「あの世界」。自分の手が届かない遠くの世界を、見ようとして目を細める。眩しいけど憧れる「あの世界」を見ようとするからこそ、その眩しさが胸に突き刺さるのだ。ジレンマ。
しかも、手が届かないと知りながら、つかもうとする。掴みたいから、対象を見据えるために目を細めていたわけで。でも自分がいるのは常に「ここ」。「ここ」が「ここ」である限り、「あの世界」には届かない……はー!美しい!天才!壺坂恵にはノーベルヨシモト賞ではなくノーベル文学賞ですわ。村上春樹より先にとって欲しい。
『そういえば今日から化け物になった』に見る非凡な才能
卓越した言語センスといえば尾崎世界観。やはり彼は化け物だと思う。というわけで『そういえば今日から化け物になった』の凄さについて語りたい。歌詞読解はきわめてナンセンスかもしれないが、語りたいので語る。オタク特有の早口(タイピング版)という感じなので、1.4倍速くらいでささっと読んでいただきたい。
ちなみにこの曲は『寄生獣』からインスピレーションを受けたとまことしやかにささやかれているが、ここではあえてその点をスルーして歌詞だけに向き合う。
最後にピース
出来るかどうかは右手次第だから
最後にキス
せめてこれだけあの子にさせてよ
そういえば今日から化け物になった
(そういえば今日から化け物になった/クリープハイプ)
この連だが、のっけからエンジン全開である。
ピースできるかどうかは本来自分の感情次第である。しかし右手次第ときた。ここに右手の独立、感情と身体の乖離が見てとれる。タイトルにある、「化け物」になった自分が冒頭で顔を出す。あの子にキスすることが叶わなくなった自分。気づく。あ、そういえば自分が今日から化け物になってしまったんだった、と。
せめて最後にキスだけはさせてくれよ、と願う部分、めちゃめちゃ意味がわからなくて気持ち悪い。だって、自分は「化け物」になったというのに、真っ先に出てくるのはきわめて俗な感情。「化け物」になった事態を、まるで他人事かのように受け止めている気味の悪さ。いや、どんなやり方だよ……「化け物」の異常性を、自分が「化け物」になったことを冷めた目で見ている場面を描いて表現しているのだ。同時に「あの子」への思いの強さもチラつく。「化け物」は尾崎世界観、あんただよ……。ていうか実際そうなんだろうな。
今『ワタシが私を見つけるまで』を見ながらこれを書いているのだが、ダコタ・ジョンソンのキスがエロすぎて、キーボードを打つ手が止まってしまった。なんだこれ。キスするとき照明に照らされた横顔。可愛さと美しさと意地悪さの黄金比かよ。
話を戻そう。
段違いに馬鹿馬鹿しくて笑っちゃうけど
世界を救うために生きてる
夢なら醒まして忘れたよ
あの子を忘れるよりも先に
(『そういえば今日から化け物になった』クリープハイプ)
化け物でありながらも世界を救う為に生きている。なんて皮肉なのか。そんな馬鹿馬鹿しい状況でもなお、自分が化け物になってしまったがゆえに、キスもできない存在となってしまった「あの子」をいつまでも忘れられない……そんな「化け物」の執着心。
「自分のせいで”あの子”に触れられなくなってしまった」状況をこうもうまく表現できるか。
個人的には、浮気を暗示しているのかな〜と思う。自分のせいでもう相手に近づくことができなくなってしまった、という状況を浮気と重ねているなら、個人的にはスッキリする。
「世界を救う」は自分を愛してくれた人の好意に応えた自身の正当化で、もちろん本心で「正しい」と思っているわけでも無いのだろうし、そんなことをしてしまった自分を気持ち悪いな、とせせら嗤いながら「化け物」と評しているのではないか。
いや、尾崎世界観さん、あんたは化け物じゃねえ、天才だ。しかも、能動的に夢を醒ますことができる「化け物」の超越性をさりげなくチラ見せ。
あとここも美しい。
そういえば今日から化け物になった
それでもこうして生きているのは
死ぬ暇も無いし
(『そういえば今日から化け物になった』クリープハイプ)
死ぬ暇がないため死なないとして、逆説的に「化け物」の不死性を強調している。
しかしこの部分が美しいのは、「化け物」の肉体的異質さを強調することで、精神の人間臭さが際立っている点だ。その生臭さを察知した私たちは、いつのまにか自分の生に思いを馳せる。
自分たちだって、死のうと思えばいつでも死ねる。にも関わらず死なない選択をし続けている。このメンタリティは、掘り下げると「化け物」のそれと何が違うのだろう。
クリープハイプの曲はいつもそうだ。歌詞が芸術的すぎるにも関わらず、語られているのはどろりと溜まっている人間の感情。この極上のゲテモノが、尾崎世界観の声に乗って聴く者の耳と心にべったりとこびりつき、心を蝕む。否が応でも自分の精神世界に向き合い、古傷が疼く。
いい思い出、嫌な思い出、全てを素手で掘り起こす。爪の隙間は土まみれになる。ばい菌まみれの手でかさぶたを掻きむしってしまう。痛い、でも気持ちいい感覚。血と膿みがグズつく。固める為に、「こびりつき」を求めてまた曲を聴く。はい、無限ループの完成。
ちなみに、2014年に発売されたクリープハイプのシングル『百八円の恋』の初回限定版特典は「痛いの痛いの飛んでいかない人の絆創膏」だった。聴く人間をどこまで見透かしているんだ。……いや、むしろ聴く人が尾崎世界観のメンタリティに吸い寄せられているのか。
何はともあれ、ここまで転がされると悔しくなってしまうな。
勘違いも甚だしくて笑っちゃうけど
世界に巣食うことで生きてる
夢なら醒まして忘れてよ
僕が忘れるよりも先に
(『そういえば今日から化け物になった』クリープハイプ)
ここも美しいよな〜〜〜〜〜さっき「救う」と「巣食う」で言葉遊び、なんていうのはバカでもわかる。しかし、「あの子」にキスできない存在になったのは「化け物」になった自分のせいなのに、相手に対して夢を醒まして自分を忘れることを望んでいる。相手に自分を忘れてもらいたくて。「化け物」になってしまった、「死ぬ暇がないから生きている」などと宣って世界に巣食って生きている自分など、忘れてほしい。
でもこいつ、絶対本心じゃない。続く歌詞これよ?
段違いに馬鹿馬鹿しくて笑っちゃうけど
世界を救うために生きてる
夢なら醒まして忘れたよ
あの子を忘れるよりも先に
(『そういえば今日から化け物になった』クリープハイプ)
ほれみろ。さっきみたやつ。結局忘れられないんじゃん。
ちなみにこの読解は、「あの子」=浮気相手と考えてもそれはそれで成り立つ。
浮気相手の「あの子」を忘れることができない。でも「あの子」には自分のことを忘れてほしいし、二人の間にあった「夢」は、自分はもうすでに醒ましたよ、と。その場合冒頭の連は、「化け物」の化け物たる所以ともいえるだらしなさを醸し出すための導入と考えられる。
尾崎世界観は、どこまで考えて歌詞を綴ったんだろう。
聴けば聴くほど、読めば読むほど、尾崎世界観の非凡さと自分の平凡さを痛感する。