「鯛焼きひとつ、鯛抜きで」

クリープハイプとPublic Relationsが好きな、webライターの雑記

くしゃみ

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肌寒ぅございまさ〜ねェ〜〜〜!!(cv.ハリウッドザコシショウ

9月になって、急に太陽は気を抜いたのでしょうか。8月はあんなに気張っていたのに、どうも肩の荷が降りたようで。

独りで過ごす休日は、どうにも持て余して困ります。

プールに行き2km泳ぎ、いつもは疲れて行けないような、少し遠いスーパーでセロリと手羽元を買って。自宅で画集を眺めながら、コーヒーを飲んで。手羽元と大根の煮込みでご飯をモリモリ食べました。清々しいほどリラックスに全振りして、自己啓発はゼロですね。

少し余った時間、勉強をするには足りないよな、と誰にともなく言い訳をして、こうしてキーボードを叩いているわけです。

 

芥川賞を受賞した李琴峰さんのスピーチ全文を読んで、感化されたのかもしれません。

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また、一部では「李琴峰は外省人だから、本物の台湾人じゃない、だから反日だ」といった、二重も三重も間違っているデマも流されていました。どこから突っ込めばいいかも分からない滑稽で、事実に反する風説なのですが、しかし人間というのはいかに、他者をカテゴライズすることによって安心したがる生き物なのかということを、まざまざ見せつけられる形となりました。「あなたは○○だから、○○であるべきだ」「あの人は○○だ、道理で○○なわけだ」。彼らはそういう形で、本来であれば極めて複雑な思考を持つ人間を、極めて単純な属性と条件反射的な論理によって解釈しようとします。そのような暴力的で、押し付けがましい解釈は、まさしくこれまで、私が文学を通して、私の文学を通して、一貫して抵抗しようとしてきたものなのです

 

ことばで人の心を動かすことを生業とする人のことば選びだなぁ、と思いながら、気がつけば全文読んでいました。

 

人というのはどうにも愚かで、たとえば、多様性を謳う人間が「あの人は多様性を理解していない」と人を疎外します。大事なのは、「その人をどうやって巻き込んでいくか」なのに。

犬養毅ではありませんが、「話せばわかる」とまでは言わずとも「話してみなきゃわからない」と思うのです。

否定するだけなら誰でも出来ますが、その上で、対話を通じてその人の心を動かすという営みがなければ、世の中は変わりません。1人の心を動かすことができない人が、社会を変えるなんてできないわけで。

かと言って、正論だけで行動を変えられるほど、人は強くありません。そこに楽しさや満足感などのメリットがあって初めて、人は動きます。

人間は、愚かで弱い存在で、自分自身もまた、その中の1人で。

ただ、自身がちっぽけな存在であることに自覚的になることで、私たちが向き合っている社会があまりに大きく、傲岸不遜だと気づけるのではないでしょうか。

 

私が自分語りをするのは「噂」にはカウントされないと思うのですが、妙にくしゃみと鼻水が止まらない、9月初日。

今年も見られなかった、花火に思いを馳せながら、8月とはここでお別れです。

 

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