あけことよろ
明けました。
今年もよろしくお願いいたします。
私は、「あけましておめでとうございます」と言わないようにしています。
誰が喪中かもわからないし、新年がめでたいという前提自体、目の前の人と共通した観念とは限らないので。つまらないこだわりです。
ただ「あけましておめでとう」と言われたら、「あけましておめでとう」と返してしまいます。それは、相手にとって新年がおめでたいことなのだ、と確認できたから……ではありません。同調です。よわ。
誕生日おめでとう、についても同じようなことを考えたことがあります。
生まれた日がめでたい、と前提化してしまうのは、なかなか危険なのではないか、と。
しかし、世の中の人をざっくりと「生きることに前向きな人」「死にたい人」に二分すると(この営み自体いささか暴力的ではありますが)、前者は生にまつわる記念日として誕生日をポジティブに捉え、後者は死に近づく記念日として、同様にポジティブに捉えることが多いのではないでしょうか。
この考えのもと、誕生日については今のところ「おめでとう」を抱き合わせにしております。よしなに。
ストレスとは、神である
ことばの暴力性について、もう一つ物申したいことがありまして。
私は今、寝込んでおります。絶賛おふとんに包まれ中。母(羽毛布団)の温もりを感じております。
実は先月も寝込んでおりました。勤務中、急な腹痛で動けなくなってしまいまして。すると、一人暮らしの私を案じた上司が、救急車を呼んでくれて。病院にドナドナされた後、祖父母の家に転がり込むこととなりました。
では病院で何と言われたか。
「正確な原因はわからないのですが、細菌かストレスでしょう」とのこと。
……もやもや。
そして今回。というか昨日。
ばっちり発熱。38.6℃。寒気と腹痛、下痢が止まらず、病院に駆け込みました。この時期ですから、コロナではないか、だとしたら職場に恐ろしいほど迷惑かけてしまうのではないか……と考えれば考えるほど、何だかお腹が痛くなってくるような。これこそストレスですわ。
そう、ストレス。
PCR検査の結果、めでたく陰性だったわけですが、今回もまた「細菌かストレスであろう」とのこと。
さて、ここで疑問が浮かぶわけです。細菌の話はいったん置いておきますね。
私は、身に覚えのないストレスにここまで身体を蝕まれているのでしょうか。
受験期、はっきりと自覚していた将来への不安で、過敏性腸症候群になっておりました。お腹がガスでパンッパンになっていたんです。パンッパン、ってR-18の漫画で出てくる擬音語みたいですね。今回は擬態語ですよ、念のため。
複業もしていますし、たしかに身体への負担は一定の程度あるかもしれません。
ですが、webライターは「好きを仕事にできている」と言えちゃうくらいにはのびのびとやれていますし、仕事は自身の存在意義を噛み締めることができるから、全くストレスではありません。なにより、不安やら何やらでまず出てくる症状は「おなかがパンッパンになる」なんですよね。
そう、身に覚えがないんですよ。ストレスなんて。
にもかかわらず、ストレスで体調不良と言われてしまったら、私はいったいどうすれば良いのでしょう。
実際、左耳は3週間に1回くらい以上に聞こえづらくなりますし、この腹痛の頻度は明らかに「正常」ではないと思うのですが、ストレスと断じられてしまうと、にっちもさっちも……なわけです。ないものを解消しろだなんて、悪魔の証明セカンドステージですか。
思えば、メンタルケア心理士の資格をとるために勉強していたときも。
「へぇ、ストレスで失明もしうるのか……」
「なるほど、ストレスで臓器に障害が……」
いや、ストレス万能か。
ここで私はある説を提唱したいわけです。
それこそが、「ストレス=神」説です。
人間は、説明不可能な事象を説明するために、超越的な存在を持ち出します。それを仮に「神」と定義しましょう。
※「神」が人工的な概念である、と言いたいわけではなく、あくまで論を進めるための便宜的な用法と理解していただければ幸いです
ヒトの心身に異常が発覚し、それの説明が現代医療で説明不可能、でも医療の範疇で理解したい……そんな欲望を詰め込んだ概念こそが、ストレスなのではないでしょうか。
すると、ストレスは「神」と同じようなもの、と言えてしまい……なんて言ってしまうと、私がきわめて無心論者に近い人間だとバレてしまいますね。
年明けて一発目のブログがこれですか。
そりゃ、「あけましておめでとうございます」なんて言えないわけです。
それでは、今年もよろしくお願いいたします。