「鯛焼きひとつ、鯛抜きで」

クリープハイプとPublic Relationsが好きな、webライターの雑記

『うみべの女の子』が好きだ

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『うみべの女の子』とは

皆さんは、『うみべの女の子』という作品をご存知でしょうか。

おなじみ浅野いにおの漫画作品で、全2巻。サクっと読める量であることも魅力ですが、それ以上に1巻の発売がもう10年近く前になるとは信じられまセントレア国際空港(1巻は2011年、2巻は2013年に出版)。

過去作品とはいえ読んでいない人にとってはネタバレになりますし、詳細は伏せます。が、2巻の帯を引用させてください。

少女の想いは

涙に染まり

少年の希いは

胸を焦がす

 

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やばくないですか、対句ですよ、対句。

この「少女」とは小梅、「少年」とは磯部を指すわけですが、誰やねんという話。そこで、同じく2巻の帯を抜粋します。

 

寂しいなら…

ずっと一緒にいてあげる。

海辺の町に暮らす平凡な中学生・小梅と、

内向的な同級生・磯部。

幾度も身体を重ねるうちに、

小梅は次第に磯部への想いを募らせる。

しかし、磯部は泣きすがる小梅を突き放し、

心を閉ざす––––。

二人の心はすれ違ったまま、今、季節は夏を迎える。

 

いやお前。ネタバレもネタバレやんけ、という話です。そう、この作品は小梅が磯部を好きになり、磯部がそれを突っぱねる話なわけです。

これだけだと「何が面白いの?」となりますが、この物語は内容はさることながら、「ありそうな物語」に演出するためのギミックがあります。例えば、追体験マジック。このギミックが天才。

 

「ありえない青春」を追体験するマジック

磯部や小梅のような青春を送った人間は、非常に少ない(と思います)。付き合っていない特定の同級生と、中学生の頃から何度も身体を重ね(しかも1巻の段階では磯部が小梅に好意を抱いている)ていた人は、果たして日本に何人いるでしょう。

にも関わらず、この作品は「完全に理解できない」ことをあらゆるギミックで防いでいるのです。

 

徹底的な「語り」の排除

もし登場するキャラクターが心の中で語っているセリフが意味不明だったら、読者はどう思うでしょうか。きっと「なんだこいつ、わけわからん」と、線を引いてしまう。ですが、内面描写がない場合、読者はキャラクターの言動から心情を推理するしかない。このギミックが憎い。

表面的な描写のみを行うことにより、読者はある意味「都合のいいように」、小梅や磯部の気持ちを解釈しやすくなります。映像……特に映画とよく似た見せ方ですね。

……ここまで言ってアレですけど、今調べてみたら似たようなことを書いている人がいました。なんだか申し訳ない。

でも、

 

…俺雨嫌い

特にこんな夜の雨

溺れてるみたいで苦しくなる

息を吸っても吸ってもなんか足りなくてボーッとしてくる

…俺はセックスなんてしていい奴じゃないのに

やるたびにもう二度としないって神様に誓うんだけど

神様なんてやっぱりいないし気付けば結局またやってるし

また頭ん中でごめんなさいって考えてる

謝って許してくれるなら楽なのに

誰に謝ればいいのかわからない自分がいて

じゃあ死ねばいいのにって思う

…いやでももう決めたんだ

…もう終わりにするんだ

こんなの

(『うみべの女の子』浅野いにお p.82-83)

 

大好きです、ここ。

「セックスしていい奴」って誰だよ、って話ですけど、なんとなくわかる。この「なんとなく」が重要なわけですね。射精後に訪れる「賢者タイム」と、厨二病が入り混じったセリフ……と捉える人もいれば、磯部が原罪のような感覚と向き合っているからこそこぼれ落ちた「苦しみの吐露」と捉える人もいるでしょう。ちなみに私は後者寄りですし、常日頃似たような感覚に陥っています。なんででしょうね。

磯部が「神様なんてやっぱりいないし」と言う部分からは、有神論に則った神の存在に期待しながら現実の非情さに打ちのめされる彼の叫びが聞こえるような気がしてなりませんが、あくまでこれも「気がしてならない」だけ。実際に「目で見える」「耳で聞こえる」言動しか描かないからこそ、自分の一番納得できる形で解釈できるようにしているわけです。皮肉なことに、私たち読者は神の視点でこの物語を見ることができていますね。

※「神様」は『おやすみプンプン』にも登場します(しかも、やけに俗な存在として誇張された神)。浅野いにおは「神イコール絶対性の象徴+信じるだけ無駄なもの」というダブルスタンダードを描きがちですね。

 

読者の聴覚と作品世界をつなげる

『うみべの女の子』においてキーとなるのは、はっぴいえんど『風をあつめて』。実在する楽曲、名曲です。この曲が初めて登場するのが、1巻の中盤。

 

はっぴいえんどの風をあつめて

…え?

さっきの曲

ふーん…昔の人? …ねぇ あの歌詞ってどういう意味なの?

あー…… お前なんかには一生理解できねーよ 俺も正直よくわかってないけど

(『うみべの女の子』1巻 浅野いにお p.82-83)

 

「歌詞完璧に理解したわー 」なんて言っちゃう地獄のミサワが描くキャラクターみたいな人もいそうですが、多くの場合、この歌詞はよーわからんと思うのです(とはいえ、この段階で歌詞は伏せられているわけです)。

歌詞がきちんと登場するのは、2巻の終盤。物語が終わろうとしている段階です。原文まま引用。

 

街のはずれの 背のびした路次を

散歩してたら 汚点だらけの 靄ごしに

起きぬけの路面電車が 海を渡るのが 見えたんです

それで ぼくも 風をあつめて 風をあつめて

蒼空を翔けたいんです 蒼空を

 

とても素敵な 昧爽どきを

通り抜けてたら 伽藍とした 防波堤ごしに

緋色の帆を掲げた都市が 碇泊しているのが 見えたんです

それで ぼくも 風をあつめて 風をあつめて

蒼空を翔けたいんです 蒼空を

 

人気のない 朝の珈琲屋で 暇をつぶしてたら

ひび割れた 玻璃ごしに

摩天楼の衣擦れが 舗道をひたすのを見たんです

それで ぼくも 風をあつめて 風をあつめて

蒼空を翔けたいんです 蒼空を

(『うみべの女の子』2巻 浅野いにお p.149-160)

 

実在している曲なわけです。聴けるわけです。このページを開いた時、調べてつい聴いちゃった人、多いでしょ。ほら、あなたは「磯部の聴いていた『風をあつめて』を聴く」追体験が可能なのです。小梅・磯部と同じく、「歌詞の意味がよく理解できない」ところまで。

しかも追体験だけじゃなく、フィクションである作品世界が、実際にある曲を媒介として、ノンフィクションの現実世界と融け合う。

浅野いにおは『ソラニン』などの作品でも、視覚を利用して聴覚でも作品世界と現実世界をつなごうとします。天才?

ちなみに、聴覚に作用することでどうやっても追体験できないようにしてあるのが『デッドデッドデーモンズデデデデデストラクション』。「侵略者」の発言や「母艦」が発する音を現実世界に存在しない文字(平仮名を組み合わせたようなもの)で表現することで、どうあがいても想像するしかない非現実が演出されています。追体験マジックとは対をなすギミックですね。

 

「雰囲気だけ」?

浅野いにお作品は、「雰囲気だけだ」などと揶揄されることが多いですが、その指摘は半分正しく、半分間違っています。

たしかに「雰囲気」はあるでしょう。「死」とか「セックス」とか頻出するがゆえに、「ほら、サブカル系はすぐ死とかセックスとか言っちゃう……」

待て待て待て、と。作中の「雰囲気」……というより「作品内でキャラクターが感じている空気」を読者が感じやすいように演出する彼の技巧は、決して無視できません。読んだ瞬間に、「ああ、これは浅野いにおの作品だな」と思わせる彼の力に対して「雰囲気だけ」と言うのは、あまりに野暮です。プロ野球選手に「あいつはちょっとバッティングがうまいだけだ」って言わないでしょう。だってその「バッティングがうまい」のがすごいんですから。

本棚の1段目。『おやすみプンプン』『虹ヶ原ホログラフ』『素晴らしい世界』『世界の終わりと夜明け前』『ソラニン』『零落』『デッドデッドデーモンズデデデデデストラクション』『勇者たち』……浅野いにおが産み出した数々の名作に見守られながら、今日も眠りにつきます。

おやすみなさい、いい夢を。