「鯛焼きひとつ、鯛抜きで」

クリープハイプとPublic Relationsが好きな、webライターの雑記

私の頭の中ではなく、心と体が消しゴムのようで

どうやら社会人5年目になったようで、「何も知らない若造」でいるのがいよいよ厳しくなってきた。

「スポーツ選手が自分よりも歳下!カーッ!」なんていう「若者が年寄りぶるムーブあるある」を日々欠かさない私だが、歳下が職場という同じ土俵で活躍していると、流石に焦りを感じる。ひんやりとした脇汗は、焦燥感の結晶ではなく、春が近づいている証だと信じたい。

 

転職して1年半が経つ。一回り近く上の先輩方に囲まれながら、後輩としてのお作法を忠実に守ってきた26歳男性は、無力感と闘う日々を送っている。

「自分にしか生めない価値」など、この職場では、いや、世界において存在しない。PC作業で凝った両肩は、存在感だけは立派に放つが、威厳にはならない。

 

通勤快速に乗った。僕の家の最寄駅までは、各停だろうが快速だろうが通勤快速だろうが、停車駅は同じだ。でも、通勤快速の方が、少し速い気がする。

帰り道、コンビニでハムカツを買おう。ビールを買おう。

 

残りの人生、きっと3000週間くらい。そのうちの1週間が、また今日も折り返しを迎える。

名も知らぬ仙人や神様が、面白いことを提供してくれればなぁ、と今日も他人任せに、思っている。

ろうそくではなく、消しゴムみたいに。同じところを往復して、ざくざくと何かがすり減っている、この感覚。脂肪も減ってくれれば良いのだが、ハムカツとビールがプラマイゼロにはならないことくらい、1300週間も生きていれば理解している。

やだなぁ。

2年越しに、死と向き合う

壮大なタイトルをつけてしまったが、曽祖母の三回忌に参列しただけである。

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曽祖母との思い出は、特にない。断言するとドライだが、ない思い出を語る方が「死を美談コンテンツとして消費する」感が強くて、不誠実に思える。

しかし僕は根っから不誠実なのだろう、法事では号泣した。思い出もないくせに。

なぜ泣いたのか。今でも不思議に思う。記憶を辿ると、泣いた時に心の大半を占めていたのは「申し訳ない」という感情だった。気がする。

認知症を患っていた曽祖母。彼女が入居していた介護施設に僕が訪れたのは、年に一度あるかないか。親不孝ならぬ曽祖母不孝である。

彼女は、僕のことを覚えていなかった。会った時に毎度、祖父が僕を「貴女のひ孫、○○(僕の本名)だよ」紹介してくれた。毎回初見の如く「あらぁ、そう。可愛い子ねぇ」と品よく挨拶してくれる曽祖母に対して、僕は「へへへ…」と愛想笑いをすることしかできなかった。

別に悲しくはなかった。自分が認知症になったとしたら、記憶が三親等に掠るはずもないから。でも、気まずさはあった。八十年自分より長く生き、原爆を切り抜けた(残留被曝、一応僕は被曝四世らしい)実質初対面の女性。彼女に対して何を思えばいいのか。よくわからなかった。

 

亡くなった時に「申し訳ない」と思ったのは、上記の感情に由来する。気まずさを嫌い、距離をおいていたので。何かをできたとは思わないが、もう少し頻度高く施設へと足を運ぶくらいはできた。きっと。

正月だけ顔を出す僕を、祖父はどう思っていたのだろう。祖父にとっては、母親なわけで。「母を避ける孫」に映っていたのだろうか。だとしたら、複雑だったろうな。見舞いを無理強いしないあたり、人格者だ。

祖父は、強かった。葬式で泣いたのは献杯の時だけ。「覚悟していた」から、かもしれないが、尋ねるのは気が引けるためそっとしておく。僕よりも酒を飲む祖父。いつまでも、盃に酒を注がせてほしい。罪滅ぼし1%。←丸が並ぶとキモいね

 

そうこうしているうちに、電車が来た。地元である新浦安から、棲家へと帰る時間だ。

新浦安。温もりがない町。チェーン店でガチガチに固められた町。生活に最適化され、地元と言わねばならないことが、ちょっと嫌な町。たまに来るぶんには、悪い気がしない町。

次に曽祖母の死と向き合うのは、七回忌になるだろう。その時はきっと、今よりも記憶が薄れるだろうから、今日書き残した。

誰かが死ぬ時に、誰かが産声をあげているんだよなー、なんてことも思いながら。みんな、長生きしろよ。